結局、骨になる。

空を見上げるフクマル エッセイ

「今朝、おじいさんが亡くなりました。」

先週の金曜日、母からラインがあった。

衝撃だった。

「え、なんで??うわー。え、じいちゃん死んだの。。。うわぁマジか。」

知ったときの正直な気持ち。

とりあえず詳細知りたく、そのまま電話した。

自転車で、スーパーへ買い物に行った帰りに、転んで救急車に運ばれたようで、

それがきっかけで、4日後、息を引きとった。

91歳だった。

葬式なんていらないと思ってた。

直感に従って良かった。

じいちゃんの死を聞いて、

最後に会いたいし、ふれたいという気持ちがうまれた。

福岡から愛知。

遠かったけど、じいちゃんに会えて、少しふれれて、目的は達成された。

この日までは、思ってた。

「葬式なんて、葬儀屋が儲かるだけ。いらんのにな」
って。

でも間違ってた。

葬式があることで、死に目に会えなくても、最期にその人物を見ることができる。

それだけでも、価値があるサービスかもしれない。

今回の葬式で価値観が変化した。

ただ、一つ気になったこともある。

謎の合唱

初七日法要。

申し訳ないけど、正直いらないなと思った。

皆でお経を読むんだけど。

これが想像以上に長い。

本を渡されて、

『では6ページからです。』って。

え?結構厚いけど、これどこまで読むの?うそ、一冊読む気??

確認する間もなく。

「なぁ~む~あーびー」

ひたすら読み上げる、お坊さん。

40分間の合唱。

気づいたら隣の弟、寝てた。(笑)

合唱するなら、せめてじいちゃんの好きな演歌であるべきだよな。
その方が安らかにいけると思うし。

次から、初七日法要は早退を要検討。

91歳の骨が、おれに聞いてきた。

骨を拾うフクマル

結局、最期は骨になる。

朝までは人だった。ほっぺはとても冷たかったが、間違いなく体があった。

でも3時間後、そこには骨だけ。

不思議な感覚だった。

なんとも言えない気持ちのまま、たくさん骨を拾った。

じいちゃんは楽しい人生を送ったんだろうか。

「いい人生だ」って思って死ねただろうか。

そして、おれはどう生きるのか。

『結婚式は何回もあるから、出なくてもいい。

でも葬式は一回しかない。必ず出とけ。』

昔読んだ本に書いてあった。

仰るとおりでした。

お葬式出てよかった。

いつかのその日が来るまで、もっと燃やしていこう。

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