結局、骨になる。

空を見上げるフクマル エッセイ

「今朝、おじいさんが亡くなりました。」

先週の金曜日、母からラインがあった。

衝撃だった。

「え、なんで??うわー。え、じいちゃん死んだの。。。うわぁマジか。」

知ったときの正直な気持ち。

とりあえず詳細知りたく、そのまま電話した。

自転車で、スーパーへ買い物に行った帰りに、転んで救急車に運ばれたようで、

それがきっかけで、4日後、息を引きとった。

91歳だった。

♦

♦

葬式なんていらないと思ってた。

直感に従って良かった。

じいちゃんの死を聞いて、

最後に会いたいし、ふれたいという気持ちがうまれた。

福岡から愛知。

遠かったけど、じいちゃんに会えて、少しふれれて、目的は達成された。

この日までは、思ってた。

「葬式なんて、葬儀屋が儲かるだけ。いらんのにな」
って。

でも間違ってた。

葬式があることで、死に目に会えなくても、最期にその人物を見ることができる。

それだけでも、価値があるサービスかもしれない。

今回の葬式で価値観が変化した。

ただ、一つ気になったこともある。

♦

♦

謎の合唱

初七日法要。

申し訳ないけど、正直いらないなと思った。

皆でお経を読むんだけど。

これが想像以上に長い。

本を渡されて、

『では6ページからです。』って。

え?結構厚いけど、これどこまで読むの?うそ、一冊読む気??

確認する間もなく。

「なぁ~む~あーびー」

ひたすら読み上げる、お坊さん。

40分間の合唱。

気づいたら隣の弟、寝てた。(笑)

合唱するなら、せめてじいちゃんの好きな演歌であるべきだよな。
その方が安らかにいけると思うし。

次から、初七日法要は早退を要検討。

♦

♦

91歳の骨が、おれに聞いてきた。

骨を拾うフクマル

結局、最期は骨になる。

朝までは人だった。ほっぺはとても冷たかったが、間違いなく体があった。

でも3時間後、そこには骨だけ。

不思議な感覚だった。

なんとも言えない気持ちのまま、たくさん骨を拾った。

じいちゃんは楽しい人生を送ったんだろうか。

「いい人生だ」って思って死ねただろうか。

そして、おれはどう生きるのか。

♦

♦

『結婚式は何回もあるから、出なくてもいい。

でも葬式は一回しかない。必ず出とけ。』

昔読んだ本に書いてあった。

仰るとおりでした。

お葬式出てよかった。

いつかのその日が来るまで、もっと燃やしていこう。

コメント

タイトルとURLをコピーしました